波乱万丈なキャリア人生を自身の意志で開拓し、今後を若手への育成へとシフトチェンジされる三橋さんとの笑い満載の30分。
―本日はお時間ありがとうございます。株式会社デンソーの中川さんよりご紹介いただき弊社のインタビューにご協力いただくことになりましたが…中川さんとはどのようなご関係でしょうか
中川さんとは5年前ぐらいにお会いしたのかな。2024年6月にも一緒に組織開発のセミナーがあるのですがそういった企画でご一緒しています。デンソーさんに「有名人」がいると聞いていたのですが、それが中川さんでしたね。なかなかキャラクターが濃くてすごい方ですよね。僕自身はそこまでキャラクターがはっきりしているわけではないかなと思っているのですが。どうでしょうかね。
―突然ですが、座右の銘をお教えいただけますでしょうか。
本当に突然ですね。
Connecting the dots.ですかね。これは結構気に入っていまして。自分の専門分野がキャリア開発や組織開発だったりするのですが。これはスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で話をした時の有名な一節ですよね。彼はキャリア開発の専門家ではありませんが、キャリア開発に身を置く立場から見てもいいこと言うな、と。
それ以前は、「人間万事塞翁が馬」が好きだったのですが、Connecting the dots.の方が前向きなかっこよさがありますよね。最近はこれをキャリアコンサルティングなどでも活用しています。自分の中でもキャリアを考える時に、過去を見ていろんなことを繋げていくことがConnecting the dots.にもなっているなと思います。キャリア開発って言っても未来はわからないんですよね。将来は見通せませんけれども、過去を見ていくと自分がやってきたことが将来につながるというキャリア理論にも沿ってるような言葉で、気に入っています。
―何度か出てきたキャリア開発やキャリア理論というワードは、いつ頃から意識されているのでしょうか
これを話し出すとインタビュー時間がいくらあっても足りませんが(笑)、キャリア開発に関心を持ったのは1990年代後半ぐらいですね。当時はまだCDAとか国家キャリコンとかそういうのも全然ない時代で。キャリアに関する研修が少しあったくらいでした。わたしが当時いた事業所でキャリアを考えるワークショップ型の研修を導入したので、それにあわせて勉強し始めました。
旭化成は主に樹脂や繊維などの化学素材をつくっている会社です。わたしも入社後は素材の営業に配属されるのかと思っていたのですが、住宅ブランドの営業になったんです。それがようやく楽しくなってきたなと思った頃に、希望もしていない人事部門へ異動させられました。ある意味、キャリアショックと、トランジションみたいなことを20代の中盤ぐらいで結構感じたんですよ。その時はキャリアなんて全然わからないから、モヤモヤ感、そこからモチベーションを上げるみたいなことを自分なりに考えながらやっていたんです。その後、また営業部に戻れるかなと思っていましたが今度は静岡で人事をやれという辞令がありまして。自分のキャリアをいろいろ考える過程で、キャリア開発の理論や心理学について自分事で考えたりするようになりました。まだキャリアコンサルタントもなかった時代なので、まずは産業カウンセラーを学び始めました。
望んでいない異動
―ご自身の経験が学ぶきっかけになったのですね。営業部から人事への異動はあまり喜ばしいものではなかった、ということですね
当時は人事には興味なかったですね。希望もしていませんでした。人事に異動したときは同僚から、お前具合悪いのかとか辞めるのかとか、たくさん電話がきて疲れましたよ。傷口に塩をぬられたような感じもありましたね。実際、結構落ち込みました。当時の人事って僕の周りではそういう印象だったんですよ。今だったら確実に転職していましたけど、あの頃は転職ってそう簡単じゃなかったですので。
今でこそ人事を志望している人もいますが、少し怖さを感じますね。コミュニケーション力に自信があるから人に関わる仕事がしたいっていう人、ちょっと怖くないですか。コミュニケーションや人との関係性などはなかなか自分で評価できないし、本来、誰かの人生に関わる重さがあると思うんですよね。
僕は人事の仕事をしながら人事に不信感を抱いていました。
―どのようにして人事の仕事に楽しさを見出していかれたのでしょうか
これはトランジションでよく出てくる話なんですけど、やっぱりやり残し感があるとうまくいかないですよね。やり残し感みたいなのがある中で僕はキャリアチェンジしているんです。だから異動先で採用の仕事をいろいろ考えながらやっていく中でそのやり残した感覚を払拭できたというか。徐々に採用活動が上手く回るようになって楽しくなっていったので。
ただ、ようやくモチベーションが上がってきたところでまた異動になるんですよ。キャリアを考えた時に人事としての道を歩むのかなとは薄々思っていたのでそこまでは落ち込まなかったですが…人生思い通りにはいかないものですよね。
―思い通りにはならないキャリアの中で、何がきっかけになってこの道を突き詰めようと決断されたのでしょうか
とある研修を企画した時でしょうか。
社外のファシリテーターの人が皆、プロなんですよ。研修のコンセプトは一緒なのですが、それぞれが自身のキャラクターを出ししながらも伝えたいことを高いレベルで統一できているということに気が付いた時、人材育成の奥深さを知ったんです。そこからもっと深めていきたいと思っていた矢先にまた異動です。
その頃にはわたしも大人になっていたので少しは興味のある人事制度への参画だったこともあり、ここではそれほどモチベーションは下がりませんでしたね。
―三橋さんのキャリアはなかなか思い通りにはいかないですね…
まぁ、そうですね。
異動先では、いわゆるERPシステムを導入してそれをどう人事として活用していくかの企画から開発までやっていました。それから公募人事制度、キャリア研修や人事考課者研修の全社企画もやりましたね。ただ、ルーティン業務が好きではないので、調整とか運用が何年も続いた時に転職を考えたことはあります。
できることがまだあるのなら、その場所でやりきる
―そのタイミングで転職を考えられたのですね。でも、転職はされなかった…
ある有名なエージェントで僕はこういうふうに仕事してきて、こういうことに興味持っていて転職を考えているんだとお話をしたんです。するとエージェントの担当者が「三橋さんわかりました。今日は紹介しません。今はその時期じゃないと思います」というんですよその後、尊敬する別の企業の先輩にも相談したら「まだやれることがあるのに、やめる理由がわからない」と言われて。
二人から同じようなことを言われるとそういうものなのか、もう少しここで頑張ろうかな、と考えますよね。
その後、本社管理部門人事、グループ会社の経営企画、事業企画、人材サービスの事業責任者を経験したり、HRBPの責任者をやったり。今は組織開発やキャリア開発を中心にをやっています。
―波乱万丈なキャリア人生ですね…エンゲージメントサーベイはなぜ導入されたのでしょうか
サーベイ自体は僕が探して導入したわけではありません。
だいたいどこの会社でも組織サーベイを実施しているけれどうまく使えていないみたいなケースが多いかと思います。弊社もそうだったんです。なので、経営報告はするけどもそれでどうするの、みたいなよくある話になり。やっぱりマネージャーが自分の組織をちゃんと見て、それで自分の組織が良くなるような活動につなげていく必要がある、ということでそのタイミングで僕が現部署に呼ばれました。いわゆる組織開発をどうするか、対話型の組織をどう作っていくかを検討しているときに中川さんとのつながりができたんです。
―これまでの社会人生活で一番嬉しかったことは何でしょうか
静岡の事業所でキャリア研修を企画した時、研修後のアンケートに「この研修のおかげで立ち直れそうな気がします」みたいなことを書いてくれる人がいたんですよ。
そういうのを見るとやってよかったなって思うわけですね。自分自身もキャリアショックを受けてるし、トランディションを経験していて悩みがあったのでやっぱりこういうことはニーズがあるんだなって。それが人材開発、キャリア開発に、ハマっていく一つの理由でしたね。
サーベイもそうですね。自分が作った仕組みが使われていて、それを使った人に喜んでもらえる。僕がいなくなっても役立っているみたいなね。それがやりがいだなと思っているので、そういうふうに感じた時が一番良かったかなと思います。
一番嬉しかったこと、と聞かれると正直むずしいですがすべてが繋がっているように思います。
―三橋さんにとってのキャリア開発とはどんなものでしょうか。今後の野望もお教えください
今やライフワークですね。キャリコンとして面談していると一時間後に相手の表情が変わっているんですよね。すっきりした表情で「話して良かったです」とか「楽しかったです」と言ってもらえると価値提供できているかな、と。自社貢献から社会貢献まで広げていけたらと思っています。
三橋 明弘 みつはし あきひろ
旭化成株式会社 人事部 人財・組織開発室 リードエキスパート
旭化成に入社、住宅事業部門の戸建住宅営業から住宅部門人事に異動。
以降、製造・研究所の地区人事、人事部にて人事制度企画、人事システム開発等を従事。
グループ会社に出向し、経営企画、事業企画、人材サービスの事業責任者を経験。
その後、エレクトロニクス部門の人事責任者を経て、2019年6月より現職。室長、
2023年10月に高度専門職に任命され、現在に至る