自分を生きるための、コーチング~Vol.02

コーチングという言葉すらよく理解していなかった会社員が、プロコーチのセッションを受けながらコーチングについて学び考えを深めていくおはなし。

自分を生きるための、コーチング

「この二週間で何か変わったことはありましたか」
「その中で何が一番気にかかっていますか」

思い返せばわたしのコーチはいつもこの言葉から振り返りをはじめる。出だしは何気ない会話だったはずなのに、気が付けばコーチの質問に身をゆだねる時間にかわっているのだ。
正直なところ、コーチングを受け始めた頃はこの質問に対する答えのようなものがすぐにはうまれてこなかった。いやいやいや…二週間で人間変われませんよ、とかひそかに心の中で思いながら。
ところが、何度かセッションを経験していくうちにその一言がわたしのスイッチとなって思考がぐるぐると回りだす音を感じ取れるようになった。

対話の中で気が付く、未知なる自分との出会い

「……実は、この前の会議であった…とある発言が何となく気になっています」
少しの沈黙の後、先日あったMTGでのとあるメンバーの発言について話をしようと思った。なぜかわからないがそのことをほかの誰でもなくコーチに聞いてほしかったのだと思う。
これはわたし自身の問題かもしれないが、時として自身のマイナスと捉えられるような感情を誰かに伝えるということに途方もない勇気とパワーが必要になることがある。コーチングでは心理的安全が担保されている、という前提がある。そのことを理解していればしっかりと自分の気持ちと向き合い感情一つ一つを言語化することが出来るのかもしれないが、普段はなかなか感情の言語化は難しい。

いくつかの質問に答えながら、その状況を思い出し一緒に背景を整理する。

「どんな状況だったらよかったと思いましたか」
この日、コーチのその質問でハッと気が付いたことがある。
自分自身の理想の状況とはどんなものだったのだろうか。真意など知りえないだろう他人の言動に違和感を覚えモヤモヤと悩んでいるところで正直なところ何も生まれない。どうあれば自分にとってのベストだったのか。そもそもわたしは「どうありたいか」について意識的に考えたことがあっただろうか、と。
理想の状況のイメージを自身に問うことで、はじめて、己の本心にたどり着けるような気がした。

人には思考の癖や行動パターンがきっとそれぞれに必ずある。
そしてその見えない何かが、時としてわたし達の人生を邪魔している可能性があるから無意識は恐ろしい。自分がどう想い、どうしたいかの“will”が重要であって、そこにほかの誰かは存在しないはずなのに。気が付けば他者がわたしの人生を変えてくれるだろうと願い求めてしまうこともあるのではないだろうか。でもそれはわたしがわたしの人生に匙を投げる様にも思う。

わたしは自分自身をどう生きていきたいのだろうか。

誰でもない自分の人生だ。変化させ進化していく時もあれば、歩みを止める時期もある。それぞれのペースできっといい。

自分の「意志」でその時々の選択をするためにも、まずは自分を知るということが始まりなのかもしれないとコーチングによって気が付いた。わたしのコーチは、気づきに早いも遅いもないと言ってくれたことがある。
コーチングによって思考を整理し、己の価値観や意思を自分自身に問い続けることで昨日まで知らなかった自分に出会うことが何度かあった。その連続を心地いいと思える自分で在りたいなと思いはじめたので確実に自分の中に変化が生まれているのかもしれない。

問いが生むこと

コーチングを重ねるうちに絶妙なタイミングの質問が、毎日のやらねばならぬことばかりを追いかけているわたしに自分自身と向き合う良い機会を与えてくれる様になった。
コーチとのセッションは、
どんな人間で、どんな風に生きていきたいのか。
そう問われているような気さえする。

過去か今か他者か自分か。そのひとつひとつを紐解き、より自分らしく生きるきっかけになる対話の時間がコーチングなのであろうか。内省では他の視点を取り入れることが難しいかもしれない。一緒に自分自身の根源を探し、時には厳しいことも指摘してもらいながら…己の意志で生きていく。
わたしが目指す最適な場所へと歩む旅客団の一員にコーチもいるのかもしれないな、とふと思った。家族にも友人にも話さないことを話す不思議な関係。それがわたしにとってのコーチの存在になった。

…ここで、疑問が生まれる。わたしが目指す最適な場所とはどこなのであろうか、自分らしいとは何だろうか、と。

その答えが見つかるのか、今はまだわからない。
コーチとのセッションを通じて何かが見えるかもしれないしコーチングではない場所で見つかるかもしれない。

ただコーチングに出会って変わったことと言えば、わたしはわたしの人生を生きてみようとぼんやりとした何かを掴んだことかもしれない。その感覚すら新鮮だ。

きっと、すべてのはじまりは現状認識であるはず。

 

 

ところで…

これを読んでくださったあなたは、今日、自分に何か問いかけをしましたか。