コーチングという言葉すらよく理解していなかった会社員が、プロコーチのセッションを受けながらコーチングについて学び考えを深めていくおはなし。
自分を生きるための、コーチング
「コーチング受けてみない?」
ある日上司に1on1で突如言われた一言です。
コーチング…なんだか怪しい。
それが最初に素直に思ったことでした。カウンセリングとも違うようだし、スポーツ選手でもないのにコーチが必要な状況ってどんな時なのだろうか。勿論、海外ではコーチングが当たり前であることも、とある企業の回復に必要な施策だったこともぼんやりと知ってはいました。それでも、自分の生活とはあまりにも無縁だったその言葉に、何となくですが軽い拒絶反応のようなものが出たのです。
それでも。
上司にコーチングの本までもらったので、少しずつ読み進めました。
そこで学んでみると、コーチングとはどうやら対話の中で自分の内側にある答えを引き出しながら目標を達成する手法のひとつだということが分かったのですが、ここで問題が。
わたしには達成したい目標が特になかったのです。仕事の目標であれば自分で逆算できるし上司との1on1で十分に事足りる。プライベートの目標は家族や友人と話す中で自然と解決してきた(つもり)。プロのコーチと達成したい目標は正直なところ見あたらないのです。
お金と時間を見知らぬ他人と共有して、話をし、達成できることとは一体どんなことなのであろう。
はて。
懐疑的なわたしに上司はとりあえず受けてみたら、受けてみるのが一番だよ、と何度か進めてきました。
達成したい目標も、特段何か困っていることも特にないのに?
逆にそれでも、コーチングをおススメされる理由って何なのだろう…と不思議に思いながら、あれよあれよとプロコーチとのセッションがはじまりました。結局は、上司の言葉に押し切られたのです。
「食わず嫌いなら、食べてみないと!」
対話とは
今思えば、初回セッションはお互い探り探りの奇妙な時間ですこしこそばゆいものでした。笑
はじめましてで急に自分のことを語りだせるようなタイプではないわたし。
当たり障りのない話しかできません。本当に、戸惑いました。なぜなら…とにもかくにも、話さなければ始まらないのです。沈黙の時間は何となくもったいない気がします。
コーチの質問にはどんな意図があるのだろうか、なんて最初は考える余裕もありましたがだんだんと、この質問をしてくる“コーチ”のことも気になってきました。
それが『会話』ではなく『対話』であることを後にわたしは知るのですが、ただただなんとなく問いに答えるだけではセッションは成り立ちません。
コーチの話に耳を傾け、それが自分の中でどう響くのか。そして答えがコーチへどんなふうに届くのか。見知らぬ人だからこそ生まれる新鮮な空間で、まずはお互いのことを知っていきます。コーチの質問はとても何気ないものかもしれません。
ただ。そもそも、“問い”のある生活を普段しているでしょうか。
内省ともまた違う、相手に伝わるように言語化するというアクションです。
その作業はわたしにとっては新しい感覚で、1on1でもなく仕事でのディスカッションとも友人とのお茶での会話とも家族との晩酌でもない、別世界での“対話”でした。会話と対話って全然違いますよね。そこがポイント。
自分を自分で客観視するという重要な任務があります。
わたしの場合、数回はそんな感じで“対話”していたように思います。人にもよるかとも思うのですが、わたしという人間のなんて事のない部分を話すことから自己開示が始まっていたように思います。
自分の過去のことや好きな本の話、趣味や家族のことなど。他愛のない話から仕事の話まで。時には、食事のことや最近の睡眠時間まで話します。
いわゆるコーチングにおける目標達成とは???となるのですが…のちにこの数回のセッションが必要だったことに気が付くのはまた別のお話です。
コーチングとはそれぞれにあった進め方やコーチの特徴があることもまた、趣きなのかもしれません。
最初から目標設定をしそれに向けて現状を整理し、向かっていくコーチングもあるでしょう。
ただ、わたしのように対話の中で自ずと目標を見つけたり思考を整理したりすることもまたコーチングの醍醐味のように感じます。人は、言葉にすることでより自分の思考を自身で理解するような気がします。その時間をあらかじめ作ること、それは大人になった今だからこそ必要なものなのかもと思うのです。
因みにわたしの上司はコーチングの資格を持った人です。
その上司がいうのです。
「コーチングを受けて自分を生きてみて欲しい」と。
その言葉の意味が今なら少しわかるような気がします。
日々に追われ、自分のことを蔑ろにしてしまいがちな現代で、敢て自分を生きるためにコーチングという手法を取り入れる、それはいわゆる“自分を取り戻す旅”でもあったのです。
自分探しとはまた違います。自分自身を知る、のです。
さて。ここで一つの問いが生まれます。
あなたは、自分を生きていますか。