スーペリア代表・曽我 香織インタビューVol.01(前編)~すべての始まり~

株式会社Superiieur 代表取締役 曽我香織(ソガ カオリ)へのインタビュー。

彼女の紡ぐ素のままの言葉には力と熱がこもっていて、未来が見える…

そんな気すらするから不思議だ。

 

myPecon誕生のきっかけ

ーmyPeconを立ち上げたきっかけを教えてください。

新卒でコンサルティング会社に入社し、お客様以上に専門家の立場になって結果を出すことが求められたのですが、次に入ったコーチングの会社は全く逆で。
相手の中に答えがあるという前提に立って、お客様が普段表現しない感情や内発的動機にアプローチしていくという、素材を生かすということをコーチングで学んだんですよね。
コンサルティングとコーチングのどちらも経験して、”ダメなところを変える”ではなく”パーソナリティー を生かす”コーチングの視点がいいな、とわたし自身は思ったんですけど。けれどパーソナリティー を生かすということが行き過ぎてしまうと、”ああしたい” ”これをやりたい”などの感情が先行して成果に向けたコミットメントがおざなりになってしまって、自己満足に終始してしまうケースも見てきたんです。そうすると、結果、本人は満足しているけど上司や会社は満足していないということが起こりますよね。逆にコンサルティングだと結果を出すことにコミットしているからパーソナリティー が置き去りになってしまうので、その両方のいいとこどりをしたいと思ったのがmyPeconを立ち上げたきっかけです。

 

結果も出すしパーソナリティーも生かす

ーmyPeconの特徴を教えてください。

通常のコーチングでは、コーチからこうしたらいいのでは?といったアドバイスやフィードバックはあまり行わないのかなと思うのですが、myPecon導入企業のユーザー様は、“わたしは”こうした方がいいと思いますよとか、“わたしが前に担当したユーザー様は”こんな風に解決していましたよとか、アドバイスやフィードバックも求めていらっしゃることが多いんです。そこで、結果を出すことにもコミットしていくようなコーチトレーニングを行ってきました。
myPeconでは、独自の四象限のコーチングフレームワークがあるので、コーチはよき観察者になって、”ここが強みなので戦略的に出していきましょう”、“ハードワークになるとここが欠けがちですね”などフィードバックを行いながら、ユーザー様のパーソナリティーを生かすプロデューサーのように関わることを心がけています。自分だけで考えていたら気づけなかった新しい世界が見えたり、自分の可能性を阻害している何かに気づけいたりすると、より成果が出しやすくなると思うんです。
例えばmyPeconでコーチングを受けて、自分のキャリアの可能性が開けたり、自身の課題に向き合って昇進された方もいますし、コーチングを受けてリーダーシップスタイルを変化させて全国NO1売り上げに到達された方もいます。もちろんコーチングだけの成果ではないと思いますが。

 

オンラインにこだわる理由

ーmyPeconがオンライン・コーチングにこだわる理由を教えてください。

従来のコーチングって高いんです。昔、”話しているだけなのに、何でこんなに高いの?”と何度言われたことでしょうか(笑)。日本ではあまりこういったサービスにお金を使う文化がないですよね。Executiveだけが受けるもの、みたいな従来の考え方ではなくビジネスパーソンすべての人がコーチングを活用してパーソナリティーを生かし、成果も出してもらうために、たどり着いたのがオンラインコーチングだったんですよ。移動時間もなければ世界中どこからでも受けれますもんね。表情もフィードバックの一つになりますので、音声だけでなく動画であることにこだわっています。わたしたち大人は、本音を隠して話す傾向がありますから、表情や身振り、手振りなどのノンバーバルな情報が大事なんです。
ビジネスパーソンにこだわる理由としては、”見えない労働人口減”を解決したいという想いがあります。日本で仕事にエンゲージしている人がたったの5%しかいないという事実にわたしは課題感を持っていて。仕事にやりがいを感じていて、尚且つ成果も出る、のスパイラルが生まれたら本人も会社も満足だし社会もハッピーという図が自然とできると思うんです。

 

コーチングは個を生かすためのツール

ーそもそも、曽我さんにとってコーチングとは何なのでしょうか。

学生時代に日本のGDPを上げたいと思ったんです。大学3年生の時、国際関係概論の授業で、教授が「中国や韓国などアジアの企業が台頭している中で、日本企業はもう難しいですね」と言い放った一言が強烈に残りまして。海外に出る選択肢も考えたけれど、正面から向き合いたいと思いました。ちょうどリーダーシップや組織論のゼミに入っていたことで組織論に興味を持っていて、経営の要はヒトで、ヒトを変えるにはと思って色々な社会人の話を聞いてたどり着いたのが、コンサルティングファームへの入社でした。コンサルティングファームへの内定が決まった後、友人の紹介で人材や教育を扱っている企業の長期インターンシップに参加したら、短時間の研修でもヒトってこんなに変わっていくんだ、と目の当たりにして。その頃には人材業界に身を沈めることを決意しました(笑)。

ただ、コンサルティングファームでの仕事は全く甘くなく(笑)、どんなに働いてもバリューを発揮できず、すり減る経験もしていて。その時代の上長との話の中でコーチングの本に出会ったんです。そこがコーチングとの出会いかな。学んでいくうちにコーチングはパーソナリティーを生かすためのツールだと。そのコーチングにも、ユーザー様は満足するけど成果が出なかったり、あるいはユーザー様が部下に1on1でコーチングを実践すること自体が目的化してすり減ってしまったりと、課題も感じたのであるとき起業したんです。

 

えいや!起業は波乱続き

ー急な起業に反対の声はなかったのでしょうか。

周りは反対だらけでしたよ(笑)。
営業が得意だと思っていたのに想定していた売り上げもたたなくて、自分は何者でもないんだなっていう絶望感がすごかったです。当時の月収はアルバイトするより少なくて、友達にご飯誘われてもお金がなくて何かと理由をつけて断るという。回を重ねるごとに言い訳のネタが切れて苦しくなっていましたが(笑)、とにかく行けなかったですね。コンサルティングファームで稼いだお給料を切り崩しているような感じでした。毎月減っていく預金額を見ては神経をすり減らしていました。
でも、諦められなかった。

そこから少しずつ人の輪がつながってきて、医療機関のコーチングのトレーニングをはじめました。医療機関へのコーチングは前職でやっていて、肌感覚があったので。でも、大学時代から考えていたビジネスパーソンのコーチングがどうしてもやりたくて。コネもツテも全くなかったので、自分で切り拓くしかないなと思って手紙を地道に書き始めたんです。そこから徐々に企業経営者や人事ご担当者にお会いいただけるようになったのですが、医療機関に営業するのとでは全く言語が違う。課題も違うし、使う言葉も違います。その調整にはかなり苦労しました。「御社」というところを「貴院」と言いそうになったり(笑)。
ほかにはとにかくお金も人的リソースもないので、エンジニア的なこともやりましたし、見よう見まねでありとあらゆることを自分一人でやりました。当たり前のように享受していたけど、会社って本当にありがたかったんだなと身にしみて感じましたよ。苦い思い出ですね。

 

スーペリア代表曽我 香織インタビューVol.01(後編)へ続く