パルクールは壁と向き合い、自分と向きあうプロセス –パルクールの本質−【前編】


一歩前進するときに必要なのは、自分で見えていない部分を知るというプロセス

−パルクールをされてから、佐藤さんの精神性はどう変わっていきましたか?
もう沼のように深く、抜け出せないですよね。もともと考えることは好きだったんですけども、ここまで深くは考えていなかった。今はより哲学的な部分が大きくなっていて、ただ仕組みを解明したら終わりではなくて、より物事の真理とかそういったものを追求したくなる。パルクールの体の動きや心の動きは一筋縄ではいかないし、状況によって体験するものが全て違うから、一つの視点でものごとを見て終わりというのではない。もっともっと意味があるはず、そこに存在している理由があるはずと、追求したくなってくるというか。それは自分の追求になる。

鏡を見て、自分の顔は見えても背中って見えないじゃないですか。逆に背中を見ようとするとお腹は見えなくなる。新しい自分になりたい、一歩前進したいというときに、自分で見えない部分を想像したりだとか、何かを介して自分で見えていない部分を知るというプロセスは絶対に必要なのかなと思います。そういうことに気づいたときから、色々なものを多角的に見ようとして、自分の様々な面が芋づる式にどんどん出てくる面白さみたいなのに気づいちゃって、考えが泥沼化していくんです(笑)

自分の価値観から抜け出すというのはそこまで難しくはないかもしれませんね。第一に自分がそうしたいという意思があるかどうか。第二に自分の背中を見てくれる人がいるかどうか。自分を見つけるのって、自分じゃないんですよ。他人が見つけた情報を収集するのが自分。周りの情報が跳ね返ってきた結果で自分がここにいると分かる。つねに情報の問答の繰り返しです。動いて新しい情報を得ること、動くことで自分という存在を感じるというのが大切なんじゃないかなと思います。しかもそれが整えられた仮想空間ではなく予測不可能なリアルな場であれば、新たな視点がもっと生まれてくるんじゃないかなと。 そして全体を知るというのが必要なんだろうと思います。

パルクールで言うと、体を鍛えるという根っこの部分があって、そこから、自分のスタイル、個性といったものに分化していき、枝葉の先にトリッキーな動きをするとか、ヨガ的な動きをするという木の実になる。木の実だけ見ると別々のものに見えるけど、でもその本質って一緒なんですよね。僕は全体を見て判断していきたいし、基本はグレーだけど、光の加減によって白にも黒にも見えることをわかっておきたい。その上で、白黒どっちにもできるようにしておきたいですね。

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佐藤 惇  Jun Sato
2006年からパルクールを実践し、関東を中心とした活動で日本のパルクール発展を支え続ける 。
2007年にParkour Generations(英)との出会いをきっかけに本場フランスへ赴き、パルクールの創始者YAMAKASIメンバーとの練習や国際指導資格の取得を通じて、安全な実践方法を普及すべく国内外で活動中。
東京都パルクール協会代表。