今回より2回にわたり終末期医療について、青梅慶友病院理事長の大塚太郎先生にお話を伺った様子をお届けします。
高齢者の終末期に対して必要なものは何か
−慶友病院で大塚先生が実現されたいことを教えてください。
私たちが目指すのは、「豊かな最晩年をつくる」ことです。組織の位置付けとしては病院ですが、良い医療をやることを目標にすると、サービスは医療の提供が中心になってしまいます。しかし「豊かな最晩年をつくろう」を目標にした場合、医療というのは豊かな最晩年をつくるための一つの手段でしかありません。我々は介護、医療など終末期のこと全てに携わっていますが、提供しているものはご家族様と患者様とのよき時間や、ご家族様にとってのよき思い出だと思っています。私たち職員は、「患者様ご本人にとって、ご家族にとって豊かな時間とはどんな時間だろう」といった問いの答えを日々考えています。
親が死ぬ、伴侶が死ぬというのはとても悲しく残念なことですが、いつか必ずやってきます。そして、家族はその大変なプロセスに向き合わなければいけない。さらにそのプロセスは、思い出したくない思い出や、辛い・悲しいだけの思い出になってしまうことも珍しくありません。たとえば、自宅で家族も追い詰められながら親の介護をしていると、つい親にきつくあたってしまうようになりがちです。その結果、自分がすごく好きだった親に対しての愛情を失う経験になってしまうこともある。そこで、その精神的・肉体的な大変さを我々がお引き受けすることで、親の看取りや介護といった大きな困難をここでしかできない良い経験や思い出にすること。介護をきっかけに失われがちなご家族の絆を再び取り戻すお手伝いをしたいと考えています。その結果、当院での経験が親が亡くなったあと10年、20年経っても思い出したい大切な思い出になったりとか、そのときの写真を見て楽しかったなとか嬉しかったなと思えたりとか、お母さん大好きって思えたりとか、そうなれば嬉しくやりがいがあります。
−豊かな最晩年をつくるためにどんなことを大切にしていますか。
高齢者の終末期にとって、医療というのはひとつの引き出しに過ぎないと思っています。もちろん医療もすごく大事だけど、私達がお任せいただいているのは患者様の生活や最晩年の貴重な時間そのものだと考えると医療ができることはごくわずかだし、医療だけで必ずしもいい最期にできるわけではありません。医療というのは人を元気にするために発展してきたもので、1分1秒長生きさせるような技術を追求してきたものです。しかし、超高齢者の場合は1分1秒を争うための医療の関わりが必ずしも本人や家族にとって良い時間を生むとは限りません。一方、超高齢者の終末期に対する医療の関わり方というのはどこにも教科書がないし、もしかしたら世界で日本が初めて経験しているのかもしれません。これだけ急速に進行する長寿社会で100歳以上が年間8,000人以上増えているという社会をまだどの国も経験したことがないですよね。しかも人生最後の生活というのは、文化的背景に根ざしているもので、アメリカでよいと思われていることが日本人にとって本当によいかというと、そうではないと思います。そもそも社会環境が違うし、人生観も違うのですから。つまり教科書に載っていないことを自分たちで考えるしかありません。自分だったらどうか、自分の親だったらどうかと考えたり、目の前にいらっしゃるご家族の声を聞いたり、患者様の様子を見たりしながら、「こういう時間を過ごすほうがもっといいんじゃないか」とか、「この医療のこういう使い方というのはちょっと違うんじゃないか」といったことを常に考えています。