自分のポテンシャルを磨き続ける【藤井弘子さんインタビュー】

今回は、編集者の藤井弘子さんに、編集者の道を選ぶまでのストーリーと今後のビジョンを伺いました。

超劣等生が「書く」技術を身につけた理由

小学校低学年の頃はぼんやりした、勉強も運動もできない、どうしようもない劣等生でした。おまけに引っ込み思案の暗い子で、周りからバカにされていた記憶があります。

私が「書く」ことに目覚めたのは小学3年生の時です。詩を書く授業があり、先生からクラスで一番いい詩だと初めて褒められました。
これまで誰かに褒められたことが全くなかったので、飛び上がるほど嬉しかったのです。それまで漢字を書くことすらおぼつかなかったのですが、急に書くことへの興味がわいて、本を読み始め、自然と勉強が楽しくなりました。

引っ込み思案だった私はコミュニケーションが得意でなく、書くことが自己表現方法だったから「書く」技術が身についたのかもしれません。よく文章は「起承転結を意識してまとめよう」と言われますが、私の場合は特に意識しなくてもまとまった文章が書けるのです。とにかく本を読む、文章に慣れることを積み重ねた結果かなぁと思っています。
興味本位で体験入学した予備校の小論文講座でも、「あなたには教えることがないからもう来なくていい」と言われたくらい、書くことが得意になっていました。

「書く」を仕事に生かす

書くことが好きといっても、作家になりたいとは思いませんでした。昔の自分のように伝えたいことがあるけれど言葉にできない人、うまく伝えられない人が世の中に大勢いると思い、自分の得意な文章を書くことを通じてその人たちの代弁者になりたいと考えるようになりました。いとこの実家が新聞販売店をしていて新聞が身近だったことも影響して、大学では新聞学を専攻し新聞記者を目指しました。

大学卒業後、念願の新聞社に入社して、様々なところへ取材に行きました。新聞記者は、人が嫌がること、聞かれたくないことを聞き出すのも仕事です。時には居留守を使われても何時間も待って、聞き出さなくてはいけない。頭ごなしに怒鳴られる、苦情を受け止めるのは、今思うとなかなかできない貴重な経験でした。

拒んでいる人を取材に持ち込むには、相手にとって取材に応じるメリットを訴える必要があります。どうやったら取材に応じてもらえるかを考えて、相手視点での呼びかけを続けると、最初は門前払いだった人でも次第に心を開いてくれるようになります。こちらが真摯に向き合えば、人は応えてくれるのだと気づきました。取材で人の話を聞く度に自分の世界が広がっていくことがとても楽しく、新聞記者は天職だと思っていました。

ただ、新聞記者として優秀だったかと問われれば、それは疑問です。
新聞記者というのは、シナリオを予め決めていて、裏を取るために取材するのがセオリーです。一方、私は最初からシナリオを決めることは絶対にしませんでした。相手は貴重な時間をさいて話してくれます。新聞社として伝えるべきことを伝えるのが大前提ですが、相手の思いをできるだけ汲みとって記事を書くのが私のスタイルになっていました。新聞記事はある程度フォーマット化されているので没個性的に思われがちですが、限られた中でどこを抜き出しどう伝えるのかという部分で、実はかなり記者の個性が出ます。私の場合、先輩からは「社会部記者としては優しすぎる」とよく指摘されましたが、文章を書くうえで相手の思いを尊重することは譲れない部分です。

もっと仕事を面白く。自分の世界を広げる

新聞社に勤めて4年で体調を崩してしまい、治療に専念する環境を考えて出版社に転職しました。
新聞と雑誌で最も異なる点は、内容次第で売上が数倍も変わってしまうこと。特に一般誌ではどんな特集を組むかが重要で、編集者としてのセンスが問われます。新聞社では記事を作り込むという経験がなく、雑誌制作のスキルを教わることもなかったので当初は苦労しました。いろいろな雑誌を買い込んで特集の切り口や、ビジュアルの見せ方を参考にし、見よう見まねで努力を続ける日々でした。最初に作っていた教育関連の月刊誌では1人の担当ページが多かったので、ひたすら締め切りに追われ続けていました。

そんな折、100人に1人いるかどうかという優秀な編集者と出会いました。彼は当時、漫画の編集者だったのですが、一つ一つの話が面白い。専門分野以外に対しての興味と知識の幅がとても広いんです。しかも、興味を持ったものはビジネスを立ち上げて形にしていくなど、知識に終わらせず一つ一つアウトプットしていました。編集者としての力量の差を感じた唯一の人です。

私自身も真剣に仕事と向き合っていましたが、忙しさを理由に追われるように仕事をしていたし、視野の狭さを痛感しました。彼のように広く、深い仕事ができれば、もっと仕事が面白くなるのではないかと思うようになりました。
今の自分は、まだまだ狭いところで生きていると思っています。自分が関わる世界を広げることで人として成長していきたい。そして「書く」ことを通じて、さまざまな人の代弁者になっていきたいです。

 

藤井 弘子 Hiroko Fujii
編集者

大学卒業後、九州のブロック紙で記者として教育、環境分野を中心に取材。在京出版社では教育情報誌、医療マネジメント誌の編集を担当。仕事における信条は「中庸」。