パルクールは壁と向き合い、自分と向きあうプロセス –パルクールの本質−【前編】


何をしたいのか、常に自分で考える

−パルクールは、体を動かす以上にすごく頭も使うんだなと思いました。
昔、教室の生徒さんに、「パルクールってすごく大人なスポーツですよね」と言われたことがあります。他のスポーツでも技術面や戦略を考えるという部分はあると思うんですけど、パルクールに関しては自分の体をいかに動かすか考えることが重要です。そして実際に動くときには、その場所をどう使うのかを常に自分で考えなきゃいけない。使う素材はどういう状態か、自分のコンディションはどうか、そして今自分はどうやって動きたいのか、何をしたいのか。常に自分発信だからこそ、考えるプロセスがないと道が切り開かれないんです。

それは自分の人生においても同じです。今やっていることの中で疑問を感じたら、なぜその疑問は生まれるのかとか、そしてその疑問の根源は何なのか、根源を解決するためにはどうしたらいいのか、やり方を変えるのか、自分というその視点を変えるのかと考える。人から選択肢が与えられるわけではないので、常に考えないと選択肢は生まれないですよね。そういう、選択肢を考えるというプロセスがパルクールには常に含まれているので、そうやって考える力が自ずと付いてくる。そうして「自分がどうしたいか」というより、自分の人生や哲学、理念に近づいていく。それがパルクールがスポーツという言葉だけでは表現できない所以なんじゃないかなと。

−体を動かす、自分だったらどう動こうかと考える。それがなぜ、ひいては人生の目的まで考えるようになってしまうのでしょうか。
僕はパルクールを人に説明するときに、一番シンプルには「パルクールは壁を超えていく運動なんだよ」と説明しています。それはただ物理的な壁を乗り越えるというだけではない。乗り越えられない壁が出てきたときに、それは技術面なのか、精神面なのか分からないんです。普通の地面だったらぴょんと飛べる2mくらいの距離でも、そこがビルの10階だったら恐怖心があって飛べない。こわくて一歩が踏み出せない。

乗り越えられない壁が出てきたときに、自分ならどう乗り越えるのか。そういう、壁を乗り越えるというプロセスは常に人が生きる上で存在している。だから、パルクールで壁をどう乗り越えて行こうと考えることと、自分の人生について考えることがリンクしてくるのかなと思います。