教科書のない取り組み –豊かな最晩年をつくる− 医療法人社団慶成会 青梅慶友病院 理事長 大塚太郎先生【後編】

今回は、終末期医療について青梅慶友病院理事長の大塚太郎先生にお話を伺った様子の後編をお届けします。

経営者と事業は一体。逃げられない責任がある

理事長としてのご自身を振り返って、大きな転換期を挙げるとするといつですか。
今思うと理事長になった2010年は一つの転換期でした。創業経営者の頭の中にしかないものがたくさんあったので、既存の制度の目的などを全て整理し仕組み化していきました。事業が急速に大きくなるときは、根本的に整理されることがなかなかないですよね。すごく大変でしたが、この病院の色々な制度や仕組みを理解することにも役立ちました。あれはやっぱり創業経営者に体力があって元気なときじゃないとできないですね。

もう一つ、東日本大震災は自分の中の転機です。あのときは計画停電や、原発で東京が危ないなどという話もあった。その中で僕は色々なことをシミュレーションするわけです。職員は職員の家族があるから、もし東京が危ないとなったら全員家に帰して自分の家族と逃げろと言いますよね。患者様に関しては、病院はもう運営できないから迎えに来てくださいとご家族に言っても迎えに来ることができない人が8割くらいいるでしょう。そうすると最後は、例えスタッフが自分一人になったとしても最後まで病院に絶対残らないといけないと思ったんです。もう東京は危ないってなろうが、どうなろうが。そのときに経営者とはこういうものなんだなと思った。そこから少し物事の見方が変わった気がします。職員は自分の生活がある中でうちに働きにきてくれていて、我々は職員の知恵と技術と時間をお借りしているわけじゃないですか。あくまで借りているのだから、何かあったときにはもちろんお返しする。でも私は経営者で、事業と一体みたいなもの。逃げられないというかね。借金を背負うとかそんなレベルではなくて、責任として逃げられないということを感じた。意識に大きな変化がありました。

 
目指すリーダー像はどのようなものでしょうか。
私はカリスマ経営者ではないから、「私はこう思う。いいからやれ」というのはではみんなはやってくれないと思っています。私達の病院は組織の成熟段階としても、もうトップダウンだけで運営できる時代ではない。創業時は全く開墾されていない荒れ野原を、強烈に情熱を持った創業経営者が方向性を示してみんながついてくる時代だった。本当にその先に道があるのか分からないけど、この人についていったら大丈夫そうだ、そんな強烈なリーダーシップのもとで切り開いていく。だけどそのような時代はすぎています。みんな慶友病院の理念や目標を理解して、誇りをもっており、慶友ってこうあるべきなんじゃないかという考えを持っている。つまり私がきちんと言語化して説明できないと、すごく成熟している職員たちを次に向かってエンパワーすることはできないと思うんです。みんなが腹落ちをして、これをやれば私たちが目指している次の世界に行けそうだよねって思えないといけない。

更に言うなら、私が発想したことを起点にしか物事が進んでいかないと、経営者の能力の限界=組織の限界になってしまうので、そうならないように意識しています。自分が発案したことであったとしても、現場の人たちの知恵や経験、熱意をもとに何か自分が思った以上の世界に花開くほうがきっと面白いし、そうありたいと思っています。