ダイバーシティ推進 課題と対策 –オランダの事例から−

全米オープンテニス2018で日本人初の女子シングルス優勝に輝いた大坂なおみ選手の記者会見のやりとりをご存知でしょうか。記者の「あなたの存在が古い日本人像を変えたと思うか?」という質問に対し、大阪選手は通訳と「それって質問かな?」というやり取りをした後、「私は自分のアイデンティティをあまり深く考えたことはないです。私は私であると考えています。私が育てられてきた環境の通りになっていると思う。まあ、私のテニスは日本のスタイルらしくはないと思っています」と回答しています。記者と大阪選手のやり取りから日本人の持つ「ダイバーシティ」に対する認識に疑問の目が向けられています。(参考:「古い日本人像を変えたと思う?」「それって質問かな?」大坂なおみ選手の会見に見えた”ダイバーシティ”の壁 

ダイバーシティとはどのようなことを意味するのでしょうか。今回は223カ国からの移民が暮らしているオランダの直面する、ダイバーシティに関する課題と対策をご紹介します。

マイノリティの救済からダイバーシティの受容へ

オランダは外国出身の在住者、または両親のいずれかが外国出身者である割合が22%を超えます。その割合が最も高いハーグ市では50%を超えています。移民が増加した背景には、旧植民地である南米のスリナムやアンティル諸島から来た出稼ぎ労働者が定住したこと、労働力不足を補うため1950年代から1970年代にかけてギリシャやスペイン、ポルトガル、トルコ、モロッコなどから多くの移民を受け入れたこと、そして1980年代以降、中東やアフリカ諸国、アジアからの難民を受け入れて来たことが挙げられます。オランダは西欧諸国の中では外国人労働者や移民に対する人種的偏見が少なく、彼ら固有の文化的・民族的アイデンティティを受け入れながら、経済的・社会的地位の向上に努めてきたと言われています。しかしかつては外国人労働者や難民が独自のコミュニティを作り生活をしており、現在のように様々な国の人々が混じり合って暮らしているという状況ではありませんでした 。

 

「エスニック・マイノリティ」という言葉をご存知でしょうか。植民地系移民と外国人労働者を一括して捉える言葉で、1970年代後半から1980年代にかけては 「エスニック・マイノリティ」の社会的・経済的地位が低いことが課題とされていました。オランダでもかつては統計上、人数の多い人種の移民を「西洋から」、「西洋からではない」に分けて、ダイバーシティというよりは、マジョリティ/マイノリティという観点で捉えていました。しかし、今日は移民の状況がより多様であることを認め、細かく出身国に分けて分類し、多様性をどう受け入れ社会をつくっていくかに向き合うようになりました。

移民を背景に持つ人々に関する2つの異なる視点( 左:1970年代、右:2017年)
WRPによる「The new diversity」(後述)より

「ダイバーシティ」とは「多様性」という意味ですが、現在日本で使われている「ダイバーシティ推進」は女性活用や非正規雇用の地位向上など、日本のビジネスシーンにおいて立場が弱いマイノリティの救済と、労働力不足への対策、そして本来の意味でのダイバーシティの推進が混同されているケースが多く見受けられます。ダイバーシティが推進されるとそこでマイノリティに関する課題と対策が必要になることもありますが、本来、ダイバーシティの推進とは多様性を受け入れることであり、マジョリティ/マイノリティという枠組みを越えた観点と対応が必要になるのです。