今回はパナソニック健康保険組合松下記念病院の院長である山根哲郎先生に、院長として大切なこと、異業種の人との関わり方について貴重なお話しをお聞きすることが出来ました。
大事なのは「伝えた」かどうかではなく「伝わった」かどうか
−14年間院長を務めてこられた中で、どんなことを大切にしてこられましたか?
やっぱり「ペイシェントファースト」ですね。様々な価値判断をするときに、「これは患者さんのためになるか」ということを一番に考える。自分たち医療者が患者さんに色々と説明をしたと思っていても、患者さんが理解していなかったら説明したうちに入らない。言った言わないはよく問題になるけど、「僕は言いました」と思っていても、それを相手側が理解していなかったら言ったことになりませんよね。相手が分かったかを確認しながら難しい言葉を使わずできるだけかみくだいて話をするということも必要です。ホスピタリティというのも患者さんの立場に立って考えるという、当たり前のことですがそのことに気づかない人も多いですね。
−山根先生は患者さんの立場に立つことの重要性にどうやって気づいたのでしょうか。
院長という立場にいると病院内の色々な情報が入ってきます。患者さんがクレームを言っていますと職員から報告があったとき、情報を整理して分析していくと「僕が患者さんの立場だったらこれは文句を言うよ」ということをやっているわけです。ほとんどの患者さんは医学的な知識があるわけではないので、多くの場合受けた治療が良かったかどうかの判断は「先生がよく説明してくれたか」や、「分かりやすかったか」なんです。細かい技術的なことは分からないけれど、担当した先生がすごく丁寧に説明してくれて、結果としてきちんと治れば「ああ、いい先生に当たってよかった」と思う。しかし、技術的には完璧なことをしても十分に説明をしてもらっていないと患者さんが感じていたら「この先生本当に大丈夫だったんだろうか」という気になる。
僕の強みは、自分が手術を受けた経験が5回くらいあるということです。その中には「悪気があってやっているわけではないだろうけど、患者さんの目線で考えたらもっと違う対応ができるんじゃないか」ということもあった。そういう意味では、患者さんの目線で物事を考えるのに一番いいのは、自分が患者になることだと思います。それで100%ではないけど、その人の立場になったときにどうだろうと考えることは大切ですね。
患者さんの立場に立った行動ができるのはコミュニケーションの力
−患者さんの立場で病院を見ると医師の立場から見るのとは違うことが見えてきそうですね。
私が院長になったとき、会計では自動支払機を使っていました。患者さんがお金を払う機械が置いてあるけれど、おじいちゃんおばあちゃんは使い方が分からなくて結局事務の人がつきっきりになっている。省力化のためと言っても、患者さんはすごく不便になっているし、お金を機械で受け取ることは失礼なんじゃないかと思ったわけです。民間企業だったら、クレジットカードで支払いをしたとしても「ありがとうございます」ときちんと人が対応してくれるのに、機械の中にお金だけ放り込んでガチャンと言って終わりなんて、それはおかしいですよね。急いでいる人や若い人なら機械でもいいという人がいるだろうけど、患者さんの多くはおじいちゃんおばあちゃんで、機械の使い方が分からない。結局説明のために機械の横に人が一人ずつ付いているんだったら、その人がお金の受け取りをしたらいいじゃないかと。ニコニコしながら「ありがとうございます、お大事に」と言ってもらえたら、それでいいですよね。でも機械は「お大事に」とは言ってくれない。そのうち「お大事に」と言う機械も出てくるだろうけど、患者さんに直接声をかけるということ自体が大切じゃないかなと。
それは看護師さんでも同じですね。患者さんの病室に行って、点滴の調整だけして一言もしゃべらないで出て行く看護師さんもいる。せっかく来たんだったら一言くらいしゃべっていけばいいのにと思うんです。僕の家内のお母さんが高松の病院に入院していたとき、4人部屋に入っていたんだけど、1人の患者さんが看護師さんを呼んだら、病室に入ってきた看護師さんが4人の患者さん全員に声をかけていたんです。その後呼んだ人に処置をして、それでまた全員に声をかけて部屋を出ていきました。これはすごいなと思って。「◯◯さん、今日はどう?」と声をかけることは点滴を抜きながらでもできますよね。テクニックと言うと語弊があるかもしれないけど、患者さんの立場になって一声かけようと思う気持ちがあるかどうか。僕はそれが一番大事だと思っている。そして患者さんの立場に立って考えて行動するにはやっぱりコミュニケーションの力がないとできませんよね。自分ひとりでできなければチーム全体でやればいいだけだけど、自分からコミュニケーションをとらず内にこもっていたら何も話になりません。