誰もがコーチになることはできる、大事なのは自分自身をどう受け入れていくか
−コーチにはどのような素養や素質が必要ですか。
大事なのは自分がコーチとして活動したいと思う気持ちがあるかどうか、だと思います。「人の話も聞かないし自分ばかり目立ちたがるし、コーチとして大丈夫なのかな」と傍から見たら思うような人でも、「自分はコーチになりたいんだ。コーチングがものすごくやりたいんだ」と思う人であれば、全てはそこからスタートすると思います。
私自身、コーチになったのは新聞に載っていたコーチングに関する記事を読んで「人の話を聞くことが仕事になるの?いくつになってもどこにいてもできる仕事ならやってみたい」と思い、コーチの養成講座を受講したことがきっかけでした。自分が向いているかとか、人のために役に立ちたいという発想じゃなくて。でも、コーチングを学んでコーチとして活動できるまでになっています。
コーチとして大事なのは、素養や素質というよりも、「自分を振り返ること「です。自分を俯瞰し、自分の考え方や行動を変更することができること。これは自力では難しくても、コーチをつけて、行うことができます。何らかの形でフィードバックを受ける、リフレクションをする、自分の姿を俯瞰する、客観的に第三者の視点で見る。「できるかできないか」で言うと、できない人はいないので、これを「する」ことだと思います。
ストレングスファインダー®とも絡むのですが、コーチになりたいと思ったら、どんな人でもコーチになることはできる。ただし、自分自身を受け入れるプロセスは必ず経なければいけないと思います。自分は、本当は蛇かもしれないし魚かもしれないし鳥かもしれない。蛇はくねくねして気持ち悪いとか、ちゅるちゅる赤い舌はやめてくださいとか、色々なことを言われるんです。「くねくねって人に気持ち悪いと思わせるんだ」と知ることは痛いし辛いし悲しいけれども、くねくねに巻かれてみたいという人もいるんです。コーチとして活動したいと意欲がある人は、その痛みを通りこさないといけない。「ほとんどの人が気持ち悪いって言うけれど、このくねくねこそが僕自身なんだ!」と、痛みとともに自分を受け入れる。受け入れてはまた痛みがあり、それを受け入れてはまた痛みがあり、その繰り返しです。もうすっかり自分のことがわかってきた、と慢心していると、大失敗をやらかし、それでまた反省をする。
蛇のたとえは極端でしたが、逆にスーパーモデルのような人であろうと、「あなたみたいにはなれない」と言われ続けたり、嫉妬されて足を引っ張られたりとか、色々なことがあるんですよね。「私は普通に生まれればよかった」というのも、他の人には「何を言っているの」と思われてしまう。蛇だろうが、スーパーモデルだろうが、自分の根っこにある自分らしさを、自分はこういう生き物なんだなと受け入れていく。
コーチングは、人と関わって、その人がその人らしくあるということを見つけ、受け入れ、活かしていくプロセスに関わる部分が大きい。自分もそのプロセスを経て、他の人達がそのプロセスを進めていくことをサポートしたい、と思う人は誰だってコーチになれると思います。