【連載vol.2】東京ストーリー

ガヤガヤと賑わう居酒屋のカウンター。
席に着いた途端、上着を脱ぎかけた手を止めておしぼりを受け取りつつ、反射神経で生ビールを頼んでしまった。

やれやれ、メタボ傾向の身体を考えてプリン体の少ない焼酎やハイボールでも頼もうと思っていたのだが、どうも自分は自身の声に耳を傾けるよりずっと前に、脳内会議でやるべきことが既に決まっているらしい。

注文したビールが来るのを待ちながら、手持無沙汰にスマホをいじるか壁に貼られた古びた品書きと、黒板に書かれた今日のおすすめメニューを吟味しようとしたところで、後ろから声がかかった。

「よぉ、だいぶ待ったか?」

振り替えると、紺のジャケットを羽織った男が手を挙げていた。同期の樫口である。野球をやっていたためか四角ばった肩に、黒縁の眼鏡もスクエアときているから、角ばった印象はいつも通りだ。

「いや、今来たところ。ビールは頼んじゃったけど。何にする?」

「そうだな、ビール、、いや緑茶ハイにするわ。すみませーん」

そう店員を呼び止め注文をすると、上着を脱いでカウンターに座った。樫口は自分が頼むべきものを瞬時に考えて判断ができるようだ。

タオルを巻いたアルバイトらしき女性の店員がおしぼりと共にビール、緑茶ハイとお通しを器用にもってきて、さて乾杯をしようとすると、樫口がニヤニヤしながらこっちを向いた。

「よっ部長!、かんぱーい」

「よせよ、お前だって副部長じゃないか」

先週ちょうど内示をもらったところだった。同期の中では特に早くも遅くもないタイミングでの昇進だった。

樫口もできないわけではないのだが、何年か前にグループ子会社の立て直しに行っている際に途中で戻らせようとした人事部側と少しやりやったことがあったせいか、同じタイミングでの昇進とはならなかった。
そんな小さな嫉妬心など見せずに、さらっと祝いの言葉を述べられるのには素直に関心するし、だからこそこうして1対1でまだ会って飲む仲が続けられていると思う。

「でもな、部長といってもサラリーマンである以上中間管理職だろう、なんて思わないほうがいいぞ。少しでも増えた裁量があるなら、それを部下ではなく自分のエゴの実現のために敢えて使うべきだ」

緑茶ハイを口にしながら、樫口は少し真面目なトーンでそう呟いた。

「どうしてだ?これまで数々の部長が就任した途端、前任者否定から入ることで散々迷惑を被ってきたじゃないか。俺はそうはなりたくはないね。そうだな、部下を幸せにできるリーダーになるよ」
ちょっと意外さもあってこう反論してみたら、樫口は肯定も否定もせずに自分の考えなんだが、と話しを始めた。

「世の中にあるリーダーシップの本は、しょせんこうなってもらえれば都合がいいという組織管理側からの都合に過ぎないと思っている。だけど会社をはじめとした組織が必要とされるのは一人ではできない何かをするための目的のために集合が生まれていると思うんだよ。全体として大きな目的のために人が使われるのではなくて、一人ひとりの目的や行動が先に明確にあってそれが折り合うことで組織があると思っている。」

「だけど今のうちの会社はそうじゃない。目的をもたないぶら下がり社員ばかりで、役員層も任期を全うすることだけを考えてやるべきことを理解しているわけでないから、新たな変化が生まれにくくなってる。前任者否定がいいというわけではないが、今を客観視して変えたくなる気持ちは必要だし、自分の組織を背負うってことはそのメンバと共に会社を割って出るくらいの気概であってもいいと思うぞ」

「お前なら、何がやりたい?」

そう問われてみて、頭の中を色んな言葉が駆け巡った。だが多くは中期経営計画や、年間の業務計画で謳っている会社や事業の向かうべき方向性だ。だがこれらのキーワードは自分自身の個性ややりたいことから生じたものとは言えない。

「やりたいというよりは、やるべきことばかり浮かんでくるな」

「そりゃ、そうだ。勝手なことやってたらクビになるぞ」

そう返してきた樫口は先ほどまでのシリアスさはどこへやら、いつも通りニヤニヤとした顔をして、追加のツマミの注文に入った。彼に任せておくと乾きものだけになってしまうので、時折店員への注文に口をはさみつつ、明日以降のやるべきことを考える必要を感じて少し焦りはじめてしまった。

夜が深くなってから帰宅して風呂に入るときも、樫口からの言葉が耳に残っていた。

風呂から上がり、パソコンを開いた。
次回のセッションでコーチと話したいことを記録しようと思い、myPeconのコーチングシステムにログインして、以前コーチと作成した「自分のビジョン」というカードを開いた。

<自分は部長になって何がしたいのか。やるべきことは浮かぶがやりたいことが浮かばない>

そうコメントを送信したところでパソコンは閉じておいた。明日の夜がセッションだがアルコールが残った状態ではうまく整理もできなさそうだったので、今夜は寝ることにした。

翌日、帰宅してからセッション開始に向けて、コーチングシステムにログインしたら、カードにコメントが残っていた。

<こんばんは。コメントありがとうございます。ビジョンとは、やりたいこと+やるべきことなのかもしれませんね。次回のセッションでは、今の会社でやるべきと思っていることと、更にもっとこうなったら良いと思うことを明確にしていきましょうか。>

マイコからだった。内容は明日のセッションで話すにして、今日の話がどう進んでいくのか途端に楽しみになってきた。

いつも決めているセッションの時間になり、Zoomが接続されるといつもの声が聞こえてきた。柔らかい、落ち着いた、それでいて聡明さを感じさせる声だと毎度ながら思う。

「こんばんは。昨日のコメントは、どんな背景から記入されたのですか?」

早速ドキッとしながら、昨晩の樫口とのやり取りをマイコに共有した。マイコは想定内といった様子でこんな切り返しをしてきた。

「最高の部長って、どんな人だと思いますか?」

―最高の部長、そう問いかけられて、数多の先輩部長たちの顔がよぎる。

「私が入社したころ、配属された部で部長をしていた森下さんという方がいてね。」

昔のことを思い出しながら話をしてみる。森下さんの名前を出した途端、若手の頃の思い出がフラッシュバックしてきた。

「森下部長はあまり激しく感情を出すというよりは、淡々と仕事をする人だった。でも自分の話をきちんと聞いてくれる人でもあって。あまりに聞くばかりだから時たま『部長はどう思うんですか』とか聞き返してしまったこともありましたね。でも、いま思えば森下さんは正しい答えなんて当然わかっていたわけで、ただそれを伝えても説教くさくなるし、私が素直に聞くようなタイプでもなかったから、聞いてくれる側に回ってくれていたんだろうな」

「あるとき部内で問題が起きたんだけど、森下さんは自分ひとりで解決するのではなく、それぞれのメンバーにてきぱきと役割を与えていたのが印象に残っているんですよね。それで部が一つにまとまって、解決したときの達成感は今でも忘れられなかったな」

―そうだった。あの高揚感、それが快感のようになって、幾度も苦難にあたっても、乗り越えることができてきた。

マイコは、ひとしきり昔話を話した私に、途中で口を挟むでもなく、じっと聞いてくれたうえで、こう言った。

「森下さんはいい部長だったのですね。でも今のマサフミさんとはタイプが違うようですね。」

―えっ?と心の中で呟いてしまった。森下部長が最高の部長ならそこを目指すように話していくものだとばかり思っていたからだ。

「生まれもってリーダーである方なんていません。皆、これまでの経験やタイプを背負って、最高のリーダーになろうとしているんです。部長としての森下さんの姿だけみて追いかけていると、マサフミさんはいつまでもその背中に追いつくことができなくなってしまいます。大事なのは部長などといった肩書とは関係のない、その人らしさを長所短所ともに理解したうえで、その人にしかできないことをやり遂げるのが、最高の部長ではないでしょうか。私がマサフミさんの部下だったら、無理に聞き役に徹してもらうよりは、一緒にあれこれ意見しながら考えてくれるほうが嬉しいかな」

「なるほど。。」そう言ったあと、自分のことをそういう視点でみてくれていたのかという気づきと驚きをもって考えていた。

自分の背負ってきたことや自分らしさをしっかり認識したうえで、そこを出発点に何を目指すべきか考える、という考え方を持つことができた。
さて、それを具体化しなければ。。

「それで、もう少しその自分らしさという部分の棚卸をしてから、最高の部長の定義づくりをしたいと思うのですが・・・」

セッションの残り時間では話し足りなさそうだが、今日のところはできるところまで話してみよう。

<次回に続く>