【連載vol.1】東京ストーリー

午後20時、会社を出た私は、いつもの電車に乗り込み家路についた。最近は働き方改革の号令もあってこのくらいの時間に退社することも多い。
本当は日中の打合せの連続で、もう少し進めたい作業もあったが自分がいると帰りにくい雰囲気になるのではないかと自省してみた。
もっとも最近の若い連中なら、そんなことも気にせず帰るだろうが、どうも自分は空気というものを読みすぎる世代の生き残りらしい。

扉が閉まり動き出すのを確認し、つり革をもつのとは逆の右手で取り出したスマホをチェックすると、通知メールが届いている。
コーチから返信が届いたようだ。

myPeconのサービスを利用し、コーチをつけてから3か月が経った。
はじめは100名からなる部署の管理職を拝命し、慎重すぎる自分がどう振る舞うべきか迷うなかで藁にもすがるような思いで申し込んだサービスだったが、
今は週に1度のセッションの時間を迎えるたびに自分がアップデートできているような気持ちになる。

今日のセッションは23時からの予定だ。
指名しているコーチのマイコはフランス在住のため、夜遅い時間のリクエストにも柔軟に対応してくれる。
セッションまでに返信してもらった内容を読みたいところだが、まずは家族との時間を大事にしておく。

家につき、夕食をすませると妻から今度の休暇にどこにいくのかと相談を受けた。
正直ゆっくりと休みを取れる心情でもないのだが、まだ小さい子供たちを連れて、夫婦もリフレッシュできるような時間が必要なのだと思い直して、
いくつか探してみることを約束して自室に戻った。
妻も伝えるべきことは伝えたわよといった風で、私がこれからセッションを受けることを知って、キッチンでの作業に取り掛かったようだった。

今日は少しリラックスしようと思い、ワインを片手に、照明をダウンライトに絞ると、パソコンを広げた。
一日中会社で判断と思考を繰り返している日常から、ある種の儀式を行わないと、ずっと張り詰めたままになってしまう。
気持ちを切り替えようとmyPeconにログインすると、マイコから次のような返信がきていた。

「マサフミさん、こんばんわ。主体性を持たせたいのに自分の仕事の範囲を広げようとしない若手社員の方とのかかわり方について、
その社員にしかできないことを役割として与えてみるという試み、非常にいいアプローチだと思います。
ただ、成果だけを求めてしまうとさらに主体性を損なうなど逆効果になる可能性もあり、今夜のセッションではそのあたりのお話しもさせてください マイコ」

最近部署にきた若手社員のサイトウは、今時の若者というか自分のころとは違った感覚をもっているようで、指示したことも対応しないし、
指摘をするとパワハラだと人事に訴えたりすることで、課長が泣きついてきていた。

人事部によるコーチング研修も受けて、話を聞く傾聴が大事である、個性を重視してといっても、
他のチームメンバーが成果を出すために奮闘する中で、頑張っているようにみえないサイトウを特別扱いすることは、甘やかしているような気もするし本人の気づきにもならないと感じて、前向きになれないながらも、あるべき回答をマイコに返信してみた。

どちらかというと自分もスパルタで若手社員のころから鍛えられてきて、課題をきちんと列挙してもらって是正してきた結果がいまであるが、昨今の傾向を踏まえると、自分の考え方よりも「部長として求められる姿勢」とやらをマニュアルどおり演じるのが正しいのだろう。

もやっとした思いを、残ったシャルドネとともに流し込むと、ちょうど腕にはめた時計が23時を指した。

「こんばんわ。」