グローバル社会で必要なこと ドイツから「グローバルの実情」レポート

4.絶対的な基準がない中で

英語を母国語(もしくは日常的に使う言語)とする生徒は特に「それは英語ではどういう意味か」「英語の文法と違う」などと英語を基準に考える傾向があります。しかし当然ながら英語には存在しない言葉もあり、英語とは違う文法も多くあります。「絶対的な基準がある」「自分は正しい」と考えていると、それにあてはまらないものを受け入れることの障害になってしまうということは語学以外にもあてはまるでしょう。
国が異なれば食生活や仕事、結婚に対する考え方も違いますし、一番人気があるスポーツも違います。同じ基準で考え共感することはほとんどなく、お互いが異なるという前提で相手を理解しする努力が求められます。

 

5.日本式の落とし穴

ドイツにおいて、ドイツ語もしくは英語ができればスムーズにコミュニケーションを取る事ができるのでしょうか。

答えはNOです。個々人の考え方の違いに加えて国民性や文化、宗教などの違いがあるため言葉が通じるときほど注意が必要です。例えば日本やアジアで長く働いてきたリーダーは組織を一つにまとめ牽引するために「みんなで一つになろう」といったメッセージを発信しがちです。しかし様々な人種が入り混じり、個を重んじるドイツの人々にとってそれはモチベートされるメッセージではありません。

また、ドイツでは法律や決まりなど絶対に守らなければならないこと、人に迷惑をかけること以外では、基本的に「それをするかしないかは本人が決めるもの」という認識があります。そのため、「本社の方針だから」「こういう慣例になっているから」と、自分以外を主語にしてばかりいると「あの人は自分の考えを持っていない」と印象付けられ信頼を失ってしまいます。日本語には主語を曖昧にできる特性があるため、意思決定の主体者が誰か、自分自身がどう思っているのかを曖昧にしても意味が通じてしまいます。しかし、自分の考えやその前提をハッキリと表明できなければ同じ価値観を持っていない人たちと意思疎通や交渉をすることが難しくなってしまうのです。